愛猫「悟空」のメッセージ

20歳の在りし日の愛猫「悟空」

家族のために20年の生涯を捧げてくれた無償の愛そのもだった愛猫「悟空」のメッセージ 〜東京が今年最も寒かった1週間、20歳の家猫が泥水と草でいのちを辛うじて繋ぎながら生き抜き、たくさんの人の善意で我が家に戻れて旅立った奇跡の物語

愛猫「悟空」は調布市立調布中学校に捨てられ、美術部の部室などに出入りをして学生達から弁当やミルクの残りをもらって生きていた3ヶ月〜4ヶ月の雄の捨猫でした。冬休みに入る時に美術部員だった娘の後をずっとついてきたため、誰からも餌をもらえなくなると可哀想に思った娘が、学生服の中に入れて「飼ってあげて」と連れて帰り、家族の一員となったのです。

我が家にやってきて、1週間ぐらい経ったある日、クリスマス商戦の真っ最中で、ショッピングをした福引で私はヨーロッパ3カ国(イタリア・フランス・イギリス)の旅が当たりました。丁度イタリア語を勉強していた時でまさにグッドタイミング。しかもオードリ・ヘップパーンの「ティファニーで朝食を」のラストのシーンで、捨て猫を抱いていた時に着ていたあのコートとそっくりなコートを見つけ、池袋のあるショッピング街で衝動買いをした時のことでした。その当選した旅の途中、飛行機の乗換えで着いたコペンハーゲンでかわいいロイヤルコペンハーゲンの猫の置物を空港の免税店で見つけて買い求めたり、イタリアのコロッセオで沢山の日向ぼっこをしている猫たちに出会ったり、イギリスでは偶然にも友人が「CATS」のミュージカルのチケットを用意していてくれひどく感動したりして、話せばまだまだ尽きないほど、まさに猫づくしの忘れられない初めての思い出のヨーロッパ旅行となりました。これは悟空の恩返しだと勝手に思い、まさに招き猫だと吹聴したりもしました。

それから20年1ヶ月経った2008年1月19日(土)の夕方、不用品回収業者に粗大ごみ等の回収を依頼した際、不運にもマンションンの道路工事が行われており、トラックが離れたところに停められていたため、玄関のドアをしばらく開け放していたその時に悟空が行方不明になってしまったのです。その日、私は管理組合の役員会議に出席していて、いるべき悟空がいないことに気付いたのは、かなり時間が経っていました。それからというもの家族総出で来る日も来る日も、近所を探し回りました。20年もの長い歳月を共に暮らした悟空は、本当に人の気持ちがわかる優しい、誰にも愛嬌を振りまいて人を幸せにする猫で、外で野垂れ死にするはずは絶対ない、私たちにさよならも言わずに去ってしまうなんて絶対ないと毎日涙、涙で悟空を呼んでいました。小学校の4年生から一緒に成長し、すでに30才になる息子も夜中寝ずに血眼で探しまわりましたが見つからず、寒さで凍えそうだと言って帰ってくる姿を見るに付け、絶望的な気持ちになったりもしました。今年初めて東京に雪が降った最も寒かった前後の一週間でしたから。

行方不明になってから丁度7日目の夕方、その厳しい寒さを乗り越えて、マンションから900メートルぐらい先の三鷹市大沢の路上で肋骨を折り、脱水状態で低体温、栄養不良で歩けなくなり行き倒れていた猫を見つけ、心ある人が動物病院まで運んでくれたのです。娘がインターネットで知って、情報を提供していた調布地域猫の会のボランティア団体の方々の協力で、救ってくれた人が撮った写真と照合して、悟空ということがやっと夜中に判明したのです。その夜は病院でいのちを繋いでもらい、発見された翌26日の病院が開く朝9:00に、ついに再会を果たしたのです。助けてくださった方々、悟空のために動いてくださった方々に、そして天に感謝せずにはいられませんでした。その時、悟空は「お母さん!迎えに来てくれたの」と言わんばかりに、声を振り絞って鳴いてくれました。「ごくう」ちゃん。「うーにゃー」と私と娘、息子の分で3回。これが最後に聞いた悟空の鳴き声でした。その後はお医者さんに委ね、長い時間が流れました。皆が揃っている土曜日の夜9時ごろになって、ほとんど意識がない状態でついに我が家に帰ってくることが出来ました。1週間ぶりにいつものソファの上に電気毛布敷いてあげ、その上にタオルを敷き、低体温の身体を新しいケットに包み温めました。私も絶えず身体に触れながら「悟空ありがとう」と言い続けました。皆に挨拶をするように時々かすかな声を出してついに1月27日午前3:20に旅立っていきました。20才5ヶ月でした。

20年間住み慣れたマンションをついに出て行かなければならない時も偶然、管理人のおじさんが自転車で通りかかって、さよならをすることが出来ました。おじさんも悟空が好きで、いなくなった時、マンションの各棟に張り紙を緊急で出してくれてマンションの中を探してくれたことを悟空は知っているかのようでした。律儀な子だ。悟空を愛してくれた息子の友人達も花を持って府中にある犬猫のお寺・慈恵院に駆けつけてくれて、最後は花々に囲まれ華やかにして見送ることが出来ました。悟空が一緒に遊んだ我が家のお姉さん猫「花」ちゃんと並んで今はそのお寺に眠っています。

日本列島が厳しい寒気に包まれ、私が調布の駅でタクシーを待つたった5分間でも足の先からジーンと寒さが伝わってくる位の厳寒の1週間を20歳の家猫の悟空がどのように生き抜いたのか。「猫は3日食べないと死んでしまいます。」と動物病院の先生も不思議がっていました。土と草と木の皮が吐いたものから出てきたことを先生から聴かされた時には胸が痛くなる思いで、私がもっと早く気が付いてさえいればと自責の念にかられました。こうして生き抜いた悟空が、たくさんの人の善意で我が家に帰ってこれたことは奇跡としか言い様がありません。悟空は若い時と違って外に出て行く様子もない昨今でしたから、何故家を出たのかわかりませんが、もしかして私がプロデュースしている歌手のKennyが2月20日に「アナタニアイアタイ」でデビューするため忙しくなることや、主人の心臓弁膜症の手術をしなければならいことなどの事情を察知して、自ら過酷な情況を選んでいのちを縮め、私に最後の瞬間だけ面倒を見させて、家族全員が揃うことの出来る日曜日を選んで格好よく旅立ったのではないかと思われてなりません。私が動物病院に行ったのも、生涯を通して最初の時と最後の時だけで健康な孝行の猫でしたから。現に動物病院の先生もその救われた猫はもっと若い猫だということで、一致するのに時間がかかってしまうほど、若若しかったのですもの。「ハードボイルドだよ、悟空!」私は声をあげて泣きました。

我が家にやってきた時はヨーロッパ旅行のお土産をもって入ってきて、私たちに看病などの手を煩わせることなく格好よく去っていった悟空はその生涯にたくさんのメッセージを残してくれました。ただ人を癒し、慰め、喜ばせ、20年という長い年月を人のために捧げてくれた無償の愛そのものだったその小さないのちのメッセージを。この世にはこうした絆で人を支えている動物たちがたくさんいることでしょう。悟空と暮らした20年の思い出と彼から学んだたくさんのいのちのメッセージを胸に、つらいことも苦しいことも乗り越え、音楽プロデュサーとしての使命を全うして生きていきたいと誓う今日この頃です。

                                  音楽プロデュサー 近藤由紀子

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