生きることは支え合うこと

悟空10歳の頃

3月15日は、20年もの長い年月を共に生きてきた愛猫「悟空」の四十九日でした。前夜遅かったのと土曜日ということもあって、朝ゆっくりで私はベッドの中でうとうとしながら横たわっていました。玄関のブザーの音が聞こえたので起きて出てみたところ、悟空に捧げるお花でした。私の親友から届いたもので「悟空 20年間近藤家を支えてくれたありがとう。」と書かれたメッセージが添えられていました。彼女は悟空がいつも私たちのそばに寄り添い、近藤家の歴史を見守り、支えていたことを一番知っている人間かも知れません。まだ、起きたばかりでぼっーとしていた私でしたが、それを読んでまた、大粒の涙をこぼしてしまいました。悟空のいのちの灯が消えてしまってからというもの、目が覚めても、仕事で帰宅してからも悟空のいない淋しさに戸惑いながら、あの小さないのちの存在がどれほど大きいものであったかしみじみ思う今日この頃です。

その日は、行方不明になってから丁度一週間経った日に、路上で蹲っていた20歳の老猫「悟空」を救助してくれた人から連絡を受け、私たち家族に繋いでくれた調布地域猫の会の代表の方が四十九日ということで、悟空のことを書いてブログ(下記のアドレスに表記)に載せてくれていたのです。「あの猫のことを忘れない。腎不全になってもきっと目を見開いて、心臓だけを動かし何時間も家族が来るのを病院で待っていた悟空のことを。目を閉じたらいのちが尽きることがわかっているかのように。こんな立派な最後の姿を見せてくれた猫がいるでしょうか。もし猫に勲章をあげるとしたら猫栄誉賞をあげたい。」というようなことが書かれていました。ブログを読みながらまた大粒の涙をこぼしてしまいました。仕事でどんなに辛いことや嫌なことがあっても決して泣かない私がです。

悟空や共に暮らしたお姉さん猫の花から学んだいのちのメッセージは沢山あるけれど彼らが最後に残したメッセージは「生きることは支え合うこと。」

能登半島の小さな港町で生まれ育った私は、地域の住民が先祖から伝えられた知恵や文化を分け合い、自然からの恵みに感謝をして食べも物も分け合い、愛を分け合い、支え合って生きていたコミュニティ社会があったことを知っています。この巨大になりすぎた大都会ではそのどれも欠落し、人々はそのことの大切さにも気付かずに、日々を忙しく過ごしています。電車の中の優先席ですら若者が大きな顔で座り、年寄りが入ってきても席を譲ることもない現状を度々見るにつけ、悲しい気持ちにさせられます。愛を分け合うことが出来ないのです。見かねて「ここは優先席ですからかわっていただいたら。」とわざと大きな声でお年寄りに席を譲らせることもあります。何とも悲しい現実です。

今年の7月26、27日に開催される富山県世界文化遺産合掌集落の地「五箇山音楽祭」をプロデュースすることになり、地元の方々と協力しながら目下懸命に動いているところですが、このコンサートのテーマに「音楽で世界文化遺産を守る。」「北陸の大自然の中からアジア・世界に向けて音楽の発信をする。」「未来を担う子供たちに音楽で夢を繋ぐ。」という自然環境・文化・教育の三大テーマを掲げさせていただいたのも、先祖から繋いできた大切なものを守り、自然への畏敬の念を持って未来を生きていかなければ地球のいのちも危ういという強い思いがあったからです。五箇山は平家の落人がこの地に住みついたとも言われています。そんな遥か遠い時代の先祖に対しても、あの雪深い山の過酷な自然環境の中でも人々は知恵を出し合い、愛を分け合い、食料を分かち合い支えあって生きてきたということに思いを馳せながら、この音楽祭を意味のあるものにするように努めたいと思っています。

「生きることは支え合うこと。」のメッセージをしっかりと胸に刻んで。
「悟空 花 天国から私を支えてね。」
                           音楽プロデュサー 近藤由紀子

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